阪神・淡路大震災10年(3)-当時の思い出
先週忙しくて見られなかったNHKテレビ「プロジェクトX」をやっと見た。もちろん内容は、JR東海道本線六甲道駅の復旧工事を扱った、「鉄道分断 突貫作戦 奇跡の74日間」(1月11日放送)である。
「賽は投げられた」さんの 「救命病棟」を差し置いて見た番組には、番組の内容はもちろんのこと、震災当時の阪神間の通勤状況や、神戸とそれほど離れていないはずの大阪ですら何も無かったかのような普通の生活が行われていたことなど、「プロジェクトX」が取り上げた復旧工事当時の背景が簡潔かつ的確に書かれているので合わせてご覧になっていただきたいが、番組を見るまでも無く、震災後、鉄道をはじめ、電気、水道・下水道、ガス、電話など、ライフラインと呼ばれている部門の関係者の方々の早期復旧への努力には本当に頭の下がる思いがする。
我が家の場合、昨日もちらっと書いたが、祖父が神戸市内で一人暮らしをしていた。幸い大きな被害はなかったため、祖父は一人で頑張っていたようだったが、水・食料も不足し、店も閉まっている状況の中で、「そうはいっても一人でずっといるわけにもいかんだろう」と、関西在住の親戚が交代でそれこそ何時間もかけて時々様子を見に行っていた。もちろん私の母親も様子を見に行きたかったようだが、市内へなかなか入れないような状況では、関東在住である私の母親はそう簡単に訪ねていくわけにもいかない。
そんな中で、阪神電車と阪急電車そしてJRの開通区間を乗り継げば神戸市内中心部へ行けるようになったというニュースが入った。まだJRの六甲道は復旧していない頃だ。それでも東京では、「電車で行ける」ということぐらいしか分からない。
電車に乗るのにどれぐらい待たなければならないのか、乗り継ぎといっても通常なら乗り換えるような駅ではないから、乗り継ぎのバスに乗るのか、徒歩連絡なのか、混雑はどれくらいなのかも、東京で流れる全国ネットのニュースではよく分からない。結局、最低限の土地勘もあり、男一人ならなんとでもなるということで、しばらくして休みが取れた時に、私が母親の代わりに神戸を目指すこととなった。
当日どういうルートで乗り継いでいったのかは、どこかに記録しておいたのだが手元になく、はっきりとは覚えていない。恐らく、部分開通していた阪神電車で青木(読みは「おおぎ」である。東京のマスコミはよく間違えていたが。)まで行き、そこから阪急御影駅まで連絡バス、そして同じく部分開通していた阪急電車で王子公園へ、そこからJRの灘駅まで歩き、JRに乗ったものと思われる。
大阪市内ではいたって平常な様子だったのが、神戸に近づくにつれ、見る見るうちに風景が変わってくる。何事も無いかのように立っている家の隣に全壊した家がある。青いビニールシートがあちこちにかけられている。瓦礫を片付け綺麗さっぱりと何もなくなってしまった土地がある。
テレビで見ていた被災地の様子が目の前にあった。しかしどんな画面も、現地で生で見た風景には敵わない。一応カメラも持っていってはいたのだが、とうとうシャッターを押す気にはなれなかった。しかしその時見た光景は今でも覚えている。祖父の家には暗くなった頃無事にたどり着いたが、祖父は案外元気でホッとしたものだ。
晩飯は祖父がよく行っていた近くの串カツの店へ行ったのだが、ガスが復旧しておらず電気しか使えないため、刺身と湯豆腐ぐらいしか出来ないという。しかしその時の刺身と湯豆腐は美味かった。
あれから10年、あの店は無事営業しているだろうか。
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